The third phase of my life〜人生の第三楽章〜

40の手習い。It's never too late to start something!

生きる勇気。死ぬ勇気。

昨日、「Me Before You」(邦題「世界一キライなあなたに」)

 という映画をたまたまテレビで見ました。

米英合作で公開当時は賛否両論のある問題作だったそう。

 

〜以下概要〜(ネタバレ含みます)

カッコ良くてスポーツ万能かつ大富豪の実業家であるウィルは

バイクに跳ねられたことにより脊髄を損傷し四肢付随になる。

生きる希望を無くしていたところ、6ヶ月の期間限定で

ウィルの介護をするルーというお金に困った女性が雇われる。

最初は頑なだったウィルもルーの懸命の介護により心を開き

やがて二人は恋に落ちるが、ウィルは6ヶ月後に安楽死をする

ためにスイスの自殺幇助施設に行くことを決めていた。

 

こういう映画ってハッピーエンドが多いのが常ですが

残念ながらこの映画はそうとはならずウィルは死を選んでしまいます。

ルーの必死の説得も効かず、ウィルはウィルでルーがこのまま

自分という重荷を背負って自由を失って生きて欲しくない、

という願いからルーを解放しようするのです。

四肢付随で車椅子生活になる前の人生をウィルは愛していました。

それこそが「自分」だったとウィルは言います。

今の自分は自分ではない、このまま生きるのは耐え難い、と。

 

ウィルの両親やルーにしてみたら

「ただ生きていて欲しい」

それだけだと思います。

ただ生きていてくれるだけで良い、それで十分だと。

しかし、ウィルにしてみたら

「ただ生きているだけなのがつらい」

生きているだけで常に痛みとともにあり、

かつ自分でできることは何一つないのですから。

愛する人に自ら触れることもできない。

 

いくら死にたいと思っても死ぬという決断をするのは

かなりの勇気と覚悟が要ることです。

いざ自分がウィルのようになってしまったら

死にたくても本当に死ぬという決断ができるのだろうか。

きっとできないんじゃないかと思います。

誰にも理解してもらえない痛みと苦しみをずっと抱えてきて

死ぬという決断をしたウィルを誰が責められるだろうか。

死んで欲しくない。ただ生きていて欲しい。

そんな周りの人の気持ちだって痛いほどわかる。

 

当たり前の日常は本当は当たり前ではないということ。

元気で体が動くならばやりたいことに何でもチャレンジしてみる。

失敗したってそれで失うものなんてなくて

むしろ「経験」という糧を手に入れられるのだから。

なんて、頭ではわかっていてもなかなかできなかったりして

自戒を込めてここに記しておきます。

「生きる」ということを改めて考えさせられる映画でした。